『アカルイミライ』の撮影現場を捉えつつ、監督の作品、果ては映画に対するインタビューを行い、他にもプロデューサーや出演しているオダギリ・ジョー(若い!)や、浅野忠信(若い!)にも現場のことや監督のことについて聞いてみるなど、短いながら盛りだくさんのように見えてそうじゃない作品。
というのも、監督が常に現場で出す指示が、ひじょ~に曖昧。
役者や助監督に「これはこうで・・・、う~ん、まあどっちでもいいんですけど」「これはあってもなくてもいいんですけど」「お任せします」などなど、とにかく0か1で物事を伝えることがまずないという・・・
終始、オダギリ・ジョーの頭上に「?」がありありと浮かんでいるのが目に見えます。
大御所・藤竜也も「監督の頭の中は、分からないもんだからね・・・うん」みたいな、こっちもそうだよね。うん。と言いたくるほど、すがすがしい「?」っぷり。
浅野忠信はインタビュー時、終始笑顔でした(笑)
しかし、このドキュメンタリーを見て収穫もあります。
私は過去に『リアル 完全なる首長竜の日』を見たときに、あまりにもキャラクターに起伏と言いますか・・・誰がどの役演じても同じなんじゃないくらいキャラに個性がないと感じたのです。当時まだ大学生のクセに偉そうにそんなことを思っていたのですが、監督はこのドキュメンタリーで、「心の葛藤は描きたくない。肉体の葛藤を描きたい」と語っていました。
なるほど、それならあのキャラのなさもうなずけるなあと、勝手に自分で納得していました。なんでそうしたいのかはもうあんまり覚えていません・・・
というのも、唯一監督がきゃっきゃしていたシーンがありまして。。。
それは笹野高史さんに血糊をつけるシーン。
①部屋にぶっ倒れている笹野さんの周りに、まずはキンキンに冷えたお茶をぶちまけます。
②次に、そのしみを下敷きに血糊を広げていきます。
③仕上げに笹野さんにも血糊をぶっかけて、完成です。
お茶をかけるときに、笹野さんが「思いっきりやっちゃってください!」と死体なのに凄く生きがいいという。
因みに何で監督が、血糊のときにうきうきしていたかというと、現場によっては汚すのに抵抗のあるスタッフが多いので、監督である自分が率先して血糊を広げれば、おのずとスタッフの思い切りもよくなるだろうという、優しい配慮があったのでした。(でも純粋に血糊のシーンを撮るのは好きっぽいです。さすが肉体を撮りたいだけあります)
ただ、現場では非常に民主的で物腰柔らかな監督も、編集になると独裁者と化すそうです・・・そういう狂気じみたところに、皆惹かれるのでしょうか・・・
そんなアカルイミライを、私はまだ未見なので・・・『散歩する侵略者』を見ます!!!
(それにしても、あんなふわっふわの指示で『ダゲレオタイプの女』を撮ったのかなあと考えると、非常に興味深いです。タハール・ラヒムの頭に「?」が浮かんでるのめっちゃみたい)
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