2018年6月4日月曜日

『ビューティフル・デイ』感想・ネタバレ!原作との比較も!




先日、今年の初めからずっと楽しみにしていた『You Were Never Really Here』もとい、『ビューティフル・デイ』を見てきました。

監督、主演、音楽がそれぞれ大きな注目を集めた本作の率直な感想と、観客の想像に委ねる演出が多い中、原作がどこまで反映されているのかをまとめてみました。

原作の人物像を生かしつつ、監督が描きたいもの描いた印象。



原作小説は短編となっており、ジョーがニーナ(原作ではリサという名前)を救出しようとするものの、裏で動いていたもうひとつの事態に、ジョーが巻き込まれていくという、概ね映画と一緒です。

キャラクターもビジュアルは全く異なるものの、性格などは殆ど一緒。

例えば、映画では自分の母を殺害した暗殺者と、まさかのデュオするシーンがありますが(仕舞いには手を取り合う)、原作のジョーも無駄な殺しは一切しない。そういう人物になっています。文章で表現できない代わりに、ああいった表現をするあたり、リン・ラムジー独特の演出をビシビシと感じます。

ジョーが過去に追ったトラウマも、映像というかフラッシュバックで見せており、これも概ね原作どおり。

倉庫のような扉(トラックの貨物部分)を開けると、少女の亡骸が重なりあうようになっているシーンは、ジョーのFBI時代に経験した惨い事件の結末のワンシーン。これが原因でジョーの心は壊れ、常に頭の中に自殺願望が付きまとうようになります。

原題のYou Were Never Really Hereは、原作中でジョーが自殺しようとした際に、頭の中で聞こえた一節「お前はもともといなかったんだよ」から来ています。

原作を読めば、事件の全貌は分かるのか?



そのスタイリッシュな演出が効きすぎた結果、ぶっちゃけ事件の全貌が不透明というのが事実。

なぜヴォットは飛び降り自殺したのか、なんでウィリアム知事がヴォットの娘にこだわるのか?なぜジョーはこの一連の事件に巻き込まれたのか・・・などなど。
演出が冴え渡りすぎて、一瞬事件のことなんてどうでもよくなっていたのですが(たぶん監督もそこまでこだわってない気がする)、自分なりにまとめてみました。

・匿名メールは、ヴォットの自作自演


そもそもヴォットは、ジョーに匿名のメールから、行方不明のニーなの居場所が分かったといいますが、おそらくは自作自演。

ニーナは実の父に売られていました。

ウィリアム知事はニーナを貰う代わりに、ヴォット議員がいい思いをできるよう計らうといった取引をしたのです。(その事実を知ったヴォット妻は自殺)

最初にニーナがいた娼館と、ウィリアム知事の別荘では同じ音楽が掛かっていたので、あの娼館も、知事の所有物なのかもしれません。
あのミニチュアの家も、ひょっとしたら娼館の形をしたものだったり…?

ジョーと会った際、ヴォットの顔には殴られたような傷があります。
おそらく自分の行った取引に罪悪感を感じ、このことを公表しようとしたらウィリアム知事あるいはその息がかかった者に脅されてぶん殴られたというところでしょう。
そこで残忍と評判の高いジョーに、てめえのケツを吹いてもらおうと依頼をしたわけです。なんとまあ情けない話…

・原作のヴォットはどこまでも救いの無いクズ


ところがこれが原作になると、ヴォットは最後の最後まで性悪のクソ野郎になっています。

原作の場合、ヴォットが自分の選挙に勝つために娘を売る件は同じですが、相手はウィリアムではなく、政界に精通したギャング。
ウィリアム知事はそのことを知っており、匿名のメールを送るというもの。そして飛び降り自殺してしまうのもウィリアム知事…

ヴォットは妻も娘も捨てて、雲隠れし、新しい人生を始めて子供も作っちゃうぞっと意気込んだその瞬間、ジョーにハンマーでぶん殴られて死にます
娘の行方は最後までわかりませんが、ヴォットを殺したのは、娘をさらった相手に対して、「次はお前の番だ」というメッセージのため。
結構ラストはごりごりのスリラーで幕を下ろします。
映画のような開放感溢れるエンドはないです。

で、映画化は面白かったのか?



原作は結構ディティールまでしっかり描かれており、それはそれで面白いのですが、そういう文章を映像化すると、こうなるのかあ!という感動があります。
ちゃんと「この部分は小説のここ」というのがなんとなく分かるんです。限りなく説明要素を省いて、スリラーには無い演出も入っているのに、凄く新鮮な感覚でした。

じゃあ、原作読んでなかったらつまんないんじゃ…という感想もありそうですが、逆に自由に解釈したりして見たほうが、より本作の魅力を感じられるかもしれません。自分はぶっちゃけ順番を間違えた気がします…汗

さっきも言ったとおり、リン・ラムジーの手腕、ホアキン・フェニックスの演技に見とれていると、事件の全貌とか死ぬほどどうでもよくなります

音楽ももちろんよかったです。個人的には『グッド・タイム』みたいに、劇場で使用したものをそのまま別バージョンでサントラにして欲しいくらい。(というか、劇場で使用していない曲が、サントラにも結構合った気がする

小説も120ページくらい、映画は90分と、この多忙な日本社会には打ってつけの尺となっていますので、まだ未見・未読の人は是非。




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